
東京港の歴史を振り返る
東京港は国際貿易港として大きく
飛躍してきました。
首都圏さらには東日本全域に及ぶ
物流の要である東京港の歴史をご紹介します。

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1941年東京港の開港
東京が産業都市としての地位を確立していくにしたがい、東京港の開港を求める運動が展開されました。
この開港運動の高まりを受けて1941年(昭和16)5月20日、東京港の開港がようやく実現しました。
しかしながら、すぐに太平洋戦争がはじまり、港湾の運営は厳しく制限されました。 -
1945年接収された港湾施設
終戦により東京港の大部分が連合軍に接収されたため、一般入港船は制限され、艀を利用して貨物を運ぶ、関東大震災以前の状態に戻ってしまいました。
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1945年戦後復興と成長の原動力、東京港
終戦直後の戦後復興期、東京港は石炭、電力、ガス、鉄鋼の供給拠点となって東京の復興に貢献しました。
やがて我が国が高度経済成長期に入ると、消費や生産活動に必要な物資の海上流通拠点となり、東京に集中する人口や産業を支えました。 -
1948年豊洲ふ頭の整備
「東京港修築5カ年計画」が決定され、豊洲ふ頭の整備など、戦後の復興事業が本格的に開始されました。
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1951年開港10周年東京みなと祭
客船見学や港内巡覧、南極捕鯨団の映画上映やラジオの公開録音などが行われました。
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1955年晴海ふ頭の供用開始
晴海ふ頭の供用が開始され、戦後の東京港の国際貿易を支える主力ふ頭として活躍しました。
主にセメント、水産品、鉄などの貨物を扱いました。
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1960年輸送革新と東京港の進化
1960年代後半(昭和40年代)、世界的な規模でコンテナによる輸送革新がはじまりました。
東京港ではいち早くコンテナふ頭の整備が進められ、東京港が国際貿易港として大きく発展する出発点となりました。 -
1964年東京オリンピックの開催
晴海船客待合所供用開始1964年(昭和39)ソ連客船「ハバロフスク」ほか5隻のオリンピック観光船が入港しました。
また、同年10月より「晴海船客待合所」の供用が開始されました。 -
1967年コンテナふ頭の完成
コンテナ輸送への需要に早期に対応するため、品川ふ頭の在来船用バースを改造し、東京港で最新のコンテナターミナルを整備しました。
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1967年ハワイアンプランター
品川ふ頭に日本で最初のコンテナ船となる米国の「ハワイワンプランター」が接岸し、東京港において日本の物流革命は幕を開けました。
また、カリフォルニア航路の定期船配船が実現したことにより、長い間悲願であった外交定期船港湾、国際貿易港としての歩みがはじまりました。 -
1969年RO/RO船の就航
フォークリフトや車両が直接船内に乗り入れて荷役できるRO/RO船(ロールオンロールオフ船・ローロー船)の就航が北海道航路ではじまりました。
東京港においてRO/RO船は、紙類や雑貨、自動車、コンテナの輸送に用いられ、現在では内航海運の主流となっています。
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1971年大井ふ頭定期コンテナ航路開設
大井ふ頭で本格的なコンテナバースの供用が開始され、日本と欧州の船会社による欧州定期航路が開設されました。
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1974年13号地外航貨物定期船ふ頭完成
貨物量の飛躍的な増大に対応するために、コンテナふ頭以外の一般外航貨物定期船ふ頭の整備も進められました。
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1974年本格的なフェリー輸送の開始
新たな輸送システムであるフェリーに対応するため、有明ふ頭にフェリー専用ふ頭を整備し、東京港における本格的なフェリー輸送がはじまりました。
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1975年大井コンテナふ頭全8バース完成
日本の船会社のコンテナ船隊が大井ふ頭に集結し、東京港は一挙に世界有数のコンテナポートとして、日本を代表する国際貿易港となりました。
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1985年青海コンテナふ頭第1号供用開始
1980年代半ばごろから、世界のコンテナ海運は一斉にコンテナ船の大型化に向かいました。
青海コンテナふ頭では、先に完成した第1号バースの供用がはじまり、以降、第2から第4号バースまでは大型化に対応した高規格バースとして整備を進めました。